東海道線の列車に乗っている時に分断参道があるのに気が付きましたが、大垣まで行く機会がなかなか無かったのですが、思い切って自転車を担いで輪行で見に行きました。
事前の確認で東海道線と樽見鉄道線の2本の鉄道で参道が分断されている事が想定されました。
どこの村にもある氏神様なのですが、特筆すべきは石の一の鳥居、二の鳥居の立派さ。まず一の鳥居の写真。
後から設置年月が刻んであるのを写真に撮ってない事に気が付き悔やんでいます。というのは、石の鳥居を2個設置するには神社が小さ過ぎるんです。ですから、線路が参道を横切るに当たって国鉄が補償金を出して「これで鳥居でも作ってください」というような話があったのではないかと推測するに至った訳です。(違ったら誤ります。)東海道線を建設した年は分かっています。その年と近い年に建立されていれば推測を補強する材料になったはずです。(もう一度、取材に行かないとだめかなぁ。)
石碑の側面に昭和3年の文字が見えます。wikipediaによると樽見線の建設着手は太平洋戦争前の1935年(昭和10年)となっており、微妙にずれがあります。用地買収が先に行われ、その補償があったと考えることもできますが、この辺はしっかり検証したい。
東海道線の列車の中から撮影した別アングルの写真も載せておきます。
この2つの鳥居の間の参道は、東海道線の下を貫いたトンネルになっています。甲大門西橋梁です。
順番が前後してしまいましたが八幡神社はこちら。
建物は新しいが、狛犬や玄関前に置かれた石製の鉢は歴史を感じます。奥社があってそちらは荘厳さを感じます。
甲大門西橋梁の100mほど西にも同規模のトンネルがあり、乙大門西橋梁といいます。そちらはねじってありませんでした。
国鉄の下をくぐるトンネルには、甲と乙を頭に付けて呼ぶ規則性があるのですね。丙があるかどうかは確認し忘れました。色々と再調査が必要みたいです。